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うちの次男:ホームスクール 2

支援級時代のママ友達とは、転校した後も時々メールのやり取りをしていた。
次男が学校をしばらく休んで家にいるので遊びに来て~と誘ったら早速来てくれた。

お友達のママたちと久しぶりに会って喜ぶ次男を見て、彼女たちは言った。
「ああ、良かった!次男君ちっとも変っていないじゃない!」

そうなのだ。
ホームスクールを始めてからの次男は、いつもの穏やかさと素直さを取り戻していた。

一緒に楽しくお昼ご飯を食べた後は午後の授業が始まる。
「今日の午後は美術の時間。自由にお絵かきだよ。」と言うと「うん、出来たらみんなに見せるね!」と自分から2階へ上がっていった。

次男が2階へ行くと、彼女たちは「これからどうするの?」「中学校も普通級?」などと質問してきた。
これからどうするか?
私はフリースクールも検討していた。

中学校は?
それに対する答えは決まっている。
普通級には行かせない。
私がそう言うと、中学校の支援級はカラーがはっきりしていて、ある中学校の支援級はとてもハイレベルで普通級と支援級の中間みたいらしいよ、という情報をくれた。
普通級と支援級の中間。
それこそが次男にぴったりの空間ではないのか。
彼自身、手帳はもらえないが平均よりは低い、中間の存在なのだから。

彼女たちもお迎えがあるので、そんなにのんびりはしていられない。
次男の絵はまだ未完成ではあったが、大好きなお花を描いた絵を誉められて嬉しそうにしていた。

「また来てね!」
「ありがとう、また来るよ!」
次男と私に見送られて彼女たちは帰っていった。

ホームスクールの間、スクールカウンセラーからは何回か電話があった。
私は必ず次男とも話をさせた。
ちゃんと勉強をしている事、時々校外学習に行く事などを楽しそうに話していた。

次男の精神年齢はとても幼い。
皮肉なことに、その幼さがホームスークを成功させる要因になったのだと思う。
普通小学校高学年の男子にとって、母親は次第にうっとうしい存在になってくるはずだ。
母親の言う事など聞かなくなってくるだろう。
それなのに、次男は私が「では、授業を始めますよ!」と言うと、幼稚園児の様に「は~い!」と返事をしてくれるような子であった。

しかし、このままずっと家で教育をする訳にもいかない。
ますます幼くなってしまうような気がする。

私は次男の新しい居場所を探し始めた。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの次男:ホームスクール 1

その夜、帰って来た夫に事情を話し「これからしばらくホームスクールをする。」と宣言した時の反応はあっけないものであった。
「うん、その方がいいな。」

次の日私は学校長に手紙を書いた。
担任が伝えると言っていたけれど、次男が全面的に悪者にされてはたまらない。
クラスメートに対する暴力行為を謝罪し、その原因となったのは心に負った傷であろう事、その傷が癒されるまでしばらく家庭学習をさせる、といった内容であった。

校長からはすぐに電話があった。
家庭での学習を了承する、こちらも対策を考える、と言う返事であった。

スクールカウンセラーからも電話があった。
4年生の時、あまりにも順調だったので油断していた。
申し訳ない。
学校としても次男君が復帰できるよう支援を検討する。
このようなお話をして下さった。

スクールカウンセラーは地域の学校を複数受け持っているので、毎日学校に来れるわけではない。
次男がこのような事態になったのは決して彼女のせいではないのに、責任を感じているのはこちらこそ申し訳なかった。
彼女が「時々電話で次男君の様子を伺ってもいいですか?」と聞くので、「もちろんです。」と答えた。

さて、こうしてホームスクールは始まった。
次男はいつも通りの時間に起き、大体その日の時間割通りに行動するようにした。
国語、算数、理科、社会などは教科書と通信教育のテキスト、テストを使えば特に問題は無い。

意外と困るのは体育である。
私自身の運動不足解消もかねて、市のプールに行くことにした。
空いていて貸し切り状態の中、思う存分楽しむことができた。
これに味を占めた私たちは、美術館見学(美術)公園のアスレチック(体育)など積極的に外へ出るようになった。

また、家で理科の溶解度の実験をしたり、お昼ご飯を一緒に作ったりもした。(家庭科)

私も結構楽しんでいたが、やはりいつも2人では飽きてしまう。
私はある計画を立てた。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの次男:普通級 試練

最初に違和感を感じたのは、5年生1学期の授業参観の時であった。
教室がざわついている。
とても元気の良い男の子がいて私語が止まらない。
新しい担任の先生は、それを止めることが出来なかった。

私は次男に今のクラスの感想を聞いてみた。
「ちょっとうるさいけど楽しいよ。」

しかし2学期に入ると、次男は数人のクラスメートから嫌な言葉を言われている、と打ち明けた。
その言葉は、女子の容姿を侮辱する言葉であった。
ちょうどおやつの時間で、一緒にいた長男はあきれた様に「それって普通男子には使わないだろう?もちろん女子にも言っちゃダメだけど。全く今どきの小学生は、、、そんなの気にするな!」と一喝したが、次男は「だって、嫌なんだもん。」と涙声である。
先生が注意するとその時は止めるが、また言ってくるという。
ママからも先生に伝えておくね、と言うと、やっと安心した様におやつを食べ始めた。

私が担任に伝えると言葉攻撃はいったん収まったように思えたのだが、筆箱の鉛筆が折られたりするようになった。
このままではいけない。
私は危機感を持ち、2学期の授業参観は夫も一緒に参加した。
参観後の夫の感想は「ありゃあ、ダメだな、、」であった。

そして事件は起こった。

帰りの会の後次男がクラスメート数人の髪の毛を引っ張った、という担任からの電話で私は学校へと向かった。
次男はカウンセラー室でしょんぼりしていた。

担任:「次男君がいきなりクラスメートたちの髪の毛を引っ張ったんです。」
次男:「だってあの子達、僕のことを○○って言ったり意地悪してくるんだよ。」
担任:「それは昨日の事でしょう?先生ちゃんと注意をしてみんなで握手をして仲直りしたでしょう?」
次男:「ううん、今日だって意地悪されたよ。」
担任:「でも帰りの会の時はされなかったでしょう?」
ここでスクールカウンセラーが助け舟を出した。
「次男君、今までの嫌な事を思い出しちゃったんだよね?」

髪の毛を引っ張る。
それは、小柄でか細い次男が考え出した効果的な反撃だったのだろう。
と、感心している場合ではない。

人間にはいろいろな面がある。
大人しくて穏やかだと思っていた次男には、こんな攻撃的な一面もあったのだ。
この攻撃性を引き出した環境に、彼をこのまま置いておくわけにはいかない。

私は担任とスクールカウンセラーを見ながらはっきりと言った。
「次男の精神状態が落ち着くまで学校は欠席させます。」

担任は驚いたように「それで?」と聞き返した。
「ホームスクールをします。」

沈黙する2人。

しばらくして担任は口を開いた。
「そうですか。分かりました。校長にはそう伝えておきます。」

カウンセラー室を出ると、私は次男に「明日からお家が学校になるのよ。」と言った。
「先生は?」
「ママです!」
「わぁ~~。」と笑ってくれた。

下駄箱へ向かう途中、いつも次男を気にかけて下さっている非常勤の先生に会った。
私がしばらく学校を休ませてホームスクールをすることを告げると、その先生は一瞬息をのんでそれから言った。
「次男君は悪くない!」

そう、次男は決して悪くなんかない。
ホームスクールを選ぶのは次男を守るためである。

そして次男が欠席すればクラスも落ち着くだろう。
やんちゃな子達も、からかう相手がいなくなれば少しは大人しくなるだろうから。
担任の先生がホッとしたように見えたのは気のせいだったのだろうか。

「はい、ありがとうございます。」
私は心からお礼を言った。
非常勤の先生は次男の手をしっかり握って「じゃあ。」と声を掛けた。
次男はすっかり無邪気な笑顔になって「うん、おうちでも頑張ってお勉強するよ!」と答えた。

明日から先生になるのである。
忙しくなるぞ。
私は身が引き締まるのを感じていた。

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うちの次男:普通級 テンポが速い

4年生の4月、次男は学区内の小学校普通級へ転校した。
担任は体験入学を担当して下さったA先生である。

初日の朝、次男と私が学校へ行くと、先生は下駄箱の前で待っていてくれた。
次男に自分の靴箱の場所を教えると、私の方を向いて「では、特に電話がない限り、お迎えは結構です。」と言った。

その日はやたらと長かったような気がした。
始業式なので半日だったのだが。

次男が帰ってくるなり「どうだった?」と聞いたのは言うまでもない。
「うん、楽しかったよ。みんなの前で自己紹介もちゃんと出来たよ。」

そうか、春休みの間に自己紹介の練習をしておいて良かった。
私は胸をなでおろした。

学校のシステムが変わり、「加配」の先生を申し込めることになったので、これからは週に何日か次男にはその先生が付くという。
幼稚園の時の支援員の先生の様に毎日ではないが、ベテランのA先生に加えて加配の先生がいれば心強い。

最初の頃はいつ電話が来るか、、、と落ち着かない私であったが、次男が機嫌よく通学する日々が続き、私の生活にも平穏が訪れた。

そんな1学期半ばのある日、A先生から電話があった。
社会の授業の校外学習があるのだが、あいにくその日は加配の先生の手配が出来なかった。
初めて校外に出るので、出来れば付き添いを頼みたい。との用件であった。
「もちろん行きます!」と私は返事をした。

そして当日自分の分のお弁当を持ち、一緒に郷土資料館へと出かけた。
支援級の時も同じように付き添いをしたことがある。
あれは楽しかったなあ、、と何となくウキウキしていた。

付き添いをして驚いたのは、とにかく子供達のテンポが速い、という事であった。
もう少しゆっくり見ればいいのに、、と思うのだが、「はい、見たね。では次!」といった感じだ。
もちろんその間にしっかりメモを取ったりしている。
次男は?と様子をみると、もう付いていくのに必死である。
毎日こんな調子なのだろうか、と不安になって来た。
とても楽しむどころではない。

なんとか校外学習が無事終わり、帰りのバスの中でA先生が話しかけてきた。
「次男君、大丈夫だろうとは思ったのですが、念のため付き添って頂きました。案の定、大丈夫でしたね。」とおっしゃるが、あれは大丈夫といえる状態なのか?
その疑問を口に出すと、先生は笑いながら「お母さん、心配し過ぎですよ。今日は確かに初めての校外で慣れない様子でしたが、学校の中では、もうほとんど問題ありませんよ。家に帰ったら楽しかったかどうか聞いてみて下さいね」と自信たっぷりである。

はたして校外学習の感想を聞くと、興奮した様に「うん、初めて見るものばかりですごかったね。楽しかったよ。」と答えてくれた。
疲れたでしょう?とさらに聞くと「数字のクラスは忙しいね。でも慣れてきたよ。」
ずいぶんとたくましくなったなあ、、と私は感心した。

私が付き添いをしたのはこの1回限りであった。
次男は普通級でたくさんの良い刺激を受けたと思う。
もちろん健常児たちと同じように出来ないこともあったが、A先生は決して無理をさせることは無かった。
いろいろな子供達がいますよ、というのが口癖で、結果よりも頑張っている姿勢を重視して下さるのはとても嬉しくありがたい事であった。
どんな時も前向きで。
これが次男の長所でもあったからだ。
そんなA先生の元、クラスメートたちも次男の特性を受け入れているように思えた。

普通級での1年間はこうして順調に過ぎていった。

そして5年生。
クラス替えと担任の交代があった。
他校から転任してきた男性教師が新しい担任であった。
最初の1年を大きな問題もなく過ごしたのでもう大丈夫だろう、と楽観していたが、本当の試練はこれから始まるのであった。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの次男:旅立ち

数日後、教育委員会から正式に学区内のA小学校、普通級への転入を許可する通知が届いた。

それを見た夫は次男に「よく頑張ったな。これから厳しくなるぞ。」と言った。
相変わらず次男は「うん、大丈夫だよ。」と能天気である。

厳しくなる。
その言葉を聞いて、私は今更の様に「どうしてあの時療育手帳が取れなかったのだろう。もしも取れていたら、、、」とため息をついた。
しかし、歴史に「もしも」は無い、と同様に人生にも「もしも」は無いのである。
運命が与えた舞台の上で最善を尽くす。
この繰り返しを続けていくしかないのだろう、と思った。

私にはもう一つ気が重い仕事があった。
支援級の先生方にも報告しなければならない。
私は今の学校長と支援級の先生方に面談を申し込み、受理された。

面談の日、私は教育委員会からの通知を見せてA小学校へ転校したいと告げた。
そして、2週間の体験入学での様子を話した。
改善すべき点はあるが次男の態度は全体的にとても良かった事、国語、算数のテストも高得点が取れた事など。
次男への評価は支援級の先生方への評価でもある。
学校長は私の報告を聞くと満足そうに言った。
「良かったですね。次男君なら普通級でもやっていけるでしょう。」
それに対して支援級の先生方は「良かった」とは言わなかった。
ただ、「ではもうすぐお別れですね。」と言う言葉に次男を手放す寂しさを感じ取り、私はこれまできめ細かくご指導下さったことへのお礼を言うしかなかった。

その年の卒業生を送り出し、いよいよ次男もこの小学校を去る時がやって来た。
支援級の子供達や先生方、事務室の方々へ、次男手作りの記念品を配ってご挨拶をしているうちにすっかり遅くなってしまった。
校門を出る時、私の脳裏になぜか旧約聖書の「楽園追放」の絵画が浮かんだ。
ここにいた方が楽だと分かっているのに、どうして出て行くのか。

しかし私はすぐに思い直した。
次男は追放されるのではない。
自分の意思で出ていくのだ。

私のカバンの中には、支援級のママたちと子供たちが書いてくれたメッセージが入っていた。
次男の原点はここにある。
それを決して忘れてはならない。
手帳の無い障碍児が健常児の中に入って生活をするという事には、どのような利点と欠点があるのか。
それを確かめる旅に出るのである。

校門を出て一瞬立ち止まった後、次男に私は声を掛けた。
「さあ、行こうか。」
「うん。」
私達は前を向いて歩き始めた。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの次男:体験入学 2

2週間の体験入学の最終日がやって来た。
今日は算数と国語のテストもある。
私はテスト用紙に名前を書くのを忘れないよう確認して次男を送り出した。

3年1組担任のA先生は、お忙しい中、毎日連絡帳に次男の様子を書いて下さった。
授業態度やクラスメートとの関わり方などは特に問題は無いらしい。
しかし普通級では態度が良いだけでは不十分なのである。
授業の内容を理解しているか、が試される時がついに来た。

放課後には学校長、A先生、スクールカウンセラーとの面談がある。
私は緊張しながら、最初の面談と同じ面会室のドアを開けた。

そこには学校長とA先生がいた。
次男はスクールカウンセラーとお話しているとの事だった。
私が2週間お世話になった事のお礼を言うと、A先生はニコニコしながら2枚のプリントを私に見せてくれた。
国語と算数のテストの結果であった。

そのプリントを見た時、私はホッとしてとても嬉しくなった。
名前もちゃんと書けているし、なんとか時間内に全部解けたようだ。
点数だって上出来である。
健常児たちの中で本当に真面目に頑張ったのだなぁ、、と思わず胸が熱くなった。

私が静かに感激していると、学校長がA先生と私を交互に見ながら言った。
「次男君、理解力はあるようですね。それでは2週間の様子をA先生から話して頂きます。」

A先生は2週間慣れない環境の中で頑張った次男を誉めた後、細かい様子を教えて下さった。

授業に対する集中力は問題ない。テストもみんなと同じ様に受けることができた。

音楽や図工、体育などでは未経験のものも多く戸惑う事もあった。しかし出来ないときは自分から「分かりません。やったことないです。」等の助けを求める言葉を素直に出すことができて、先生やクラスメートたちが手助けをした。手助けを受けた後はきちんとお礼が言えた。

休み時間はリラックスするのか手をヒラヒラさせる行動が良く見られた。クラスメートに聞かれたときは「これは僕の癖なんだよ。」と上手に返していた。

全体的に行動が遅いのは否定できない。

クラスメートとの会話は、人数が多くなると途中で話の流れが分からなくなるのか輪を抜けることもあった。等など、、、

私はさすがベテランの先生だなあ、、、と感心しながら聞いていた。
学校長もこのA先生をよほど信頼しているのだろう。
自分も様子を視察したはずなのに、自分の意見は特にいわず話を聞いていた。

「さて、」A先生は話が終わると、まとめるように言った。
「今スクールカウンセラーのB先生が次男君の意思を聞いています。」
「意思と言いますと?」
私が聞くと「この学校で勉強したいかどうか、という意思です。」と答えてくれた。

次男の考えを聞いてどうするのか、次男がここを選べば転校させて下さるのか?
教育委員会は、学校と委員会が協議して決める、といっていたではないか。

その時ノックの後でドアが開き、B先生と次男が入って来た。
2人が席に着くと、A先生は「2週間どうだった?」と次男に質問した。
「はい、とっても楽しかったです。最後のテストも頑張りました!」と上機嫌で答える次男。

それを聞いた時、私は「チャレンジしてよかった。たとえ転校できなくても、これは貴重な経験となるだろう。」と涙が出そうになった。

次にB先生が言った。
「じゃあ、さっき先生に話してくれたことをみんなの前で言ってくれる?」

次男は「はい。」と返事をした後で、はっきりと「僕は4年生からこの学校に通いたいです。」とみんなに向かって言った。

それに対し、学校長とA先生は「はい、分かりました!」と笑顔で答えた。

え?それで決めちゃっていいんですか?教育委員会の立場は?
思わず固まる私に学校長は「では、教育委員会にはその方向で伝えておきます。教育委員会の担当の方たちも視察に来て、大丈夫そうですね、と言っていましたから許可は下りるでしょう。」と話した。

まさかこのような展開になるとは思わなかった私は「本当に普通級でいいんですか?」と聞き返した。
A先生は笑いながら「大丈夫ですよ、お母さん!4年生は3年からの持ち上がりです。引き続き私が担当させていただきます。」と言った後、次男に「じゃあ、4月から一緒に頑張ろうね。待っているよ!」と元気よく声を掛けた。

次男は嬉しそうに「はい!」と答えた。

なんだか私の方が落ち着きがないように思われたかもしれない。
ひたすらお礼を言いまくったような気もする。

学校からの帰り道、次男の「ねえ、今日の晩御飯は何?」というのどかな声に我に返った。
大変な事態となったのに、晩御飯のおかずを気にしているのか。
この子は意外と大物かも、、、

そう感心しながら私たちは晩御飯の相談を始めた。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの次男:体験入学 1

体験入学の日が決まった。
その間は支援級を欠席しなければならない。

それを支援級の先生方に伝える時の私の気持ちは複雑であった。
おそらく先生方も同じような気持ちだったと思う。

今までの自分たちの教育の成果が他校の先生方に評価されるのである。
出来なくても嫌だろうし、もし上出来だったらその先には別れが待っている。

体験入学先のA小学校の先生方と教育委員会との面談で、次男が良い印象を与えて体験入学の許可がおりたと話した時も、先生方は「ああ、、、」としばしの沈黙の後で「そうですか、では頑張って下さいね。」とおっしゃった。
できることならずっとこの場所で次男を守ってあげたい。
そう思って下さったのだろう。

しかし後戻りはできない。
3学期に入り、いよいよ体験入学が始まった。

始めの3日間は送り迎え付きで、学校が終わった後に担任から様子を聞く。
特に問題がなければ4日目からは一人で登下校。
最終日には担任、学校長、スクールカウンセラーから話があるのでお迎えに来てください、と言われた。

まず1日目、教室までお迎えに行くと次男は興奮した様に話し出した。
「幼稚園で一緒だったお友達がいたよ!」
そうだ。
幼稚園で一緒だった子はほとんどが他の学区内の小学校へ進学したのだが、何人かはこの小学校へ来ているのだ。
先生も「そうなんですってね。そのうちのA君は同じクラスなんですよ。」とニコニコして言った。

その後、今日の様子を話してくれた。
どの教科も真面目な態度で真剣に聞くことができた。
教室の移動の際にもお世話好きな子達が案内してくれたので、先生の出る幕も無かったという。
何より次男の明るい表情が、その日がとても楽しかった事を物語っていた。

最初の予定通り、4日目からは一人での登下校となった。
もう先生とは直接お話しできないので次男から様子を聞くしかない。
「今日はあのおじさん達(教育委員会の職員さん)が来ていたよ。」との報告もあった。

楽しい時間は休み時間。
いろいろな子と遊んでいるらしい。
苦労するのは音楽のリコーダー。
今までやっていないのでこれは仕方ない。

何かあればお電話します。と言っていた担任からは電話は来ず、その代わり毎日連絡帳に簡単に様子を知らせるコメントを書いて下さった。
概ねうまくいっている様子であった。

そして最終日の前日、連絡帳を確認すると「国語、算数テスト」と書かれているのを発見した。
慌てて「明日テスト受けるの?」と聞くと、平然と「うん。先生そう言ってたよ。」と答える。
なぜそんなに落ち着いていられるのか。
しかしここで親が取り乱してはいけない。
私が平静を装い「じゃあ、通信教育の単元テストで確認しようね。」と言うと、素直に問題を解き始めた。
残念ながら、算数は計算ではなく図形であったがまあまあである。
国語も何とかなるか。
間違えた問題の解き直しが終わると、私は「いい?くれぐれも落ち着いてテストを受けるのよ。出来なくても途中で席を立ったりしないのよ。」と確認した。
「そんな事分かってるよ。それに、、、ちゃんと出来るよ。」とちょっと不満そうに言った。
家でリラックスしながら受けるのと、クラスで受けるのとは違うだろうに、、と私はやはり心配であった。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの次男:挑戦 2

数日後、教育委員会から面談の日時を知らせる電話があった。
私と次男がA小学校に行くと、校長室の隣にある面会室へと通された。

部屋に入って驚いた。
どうしてこんなに人がいるのか?

学校長、副校長、学年主任、3年生のクラス担任、スクールカウンセラー、教育委員会職員2名で、広いとは言えない部屋がいっぱいに感じられたのである。
学校長も副校長も長男の卒業後に来た方で初対面だ。
挨拶が済むと、教育委員会職員1名が次男に向かって「次男君、早速教室を見てみるかい?」と声を掛けた。

次男一人?私は?

戸惑っていると、もう一人の教育委員会職員から「その間、お母さまからなぜ転校したいのか改めて学校長達へお話していただきます。」と言われた。

そういわれても、いきなり次男だけ連れていかれても、、、

私の心配をよそに次男は元気よく答えた。
「うん!」
「うん」じゃなくて「はい」でしょう、、、

ますます心配になる私を置いて、副校長、3年生クラス担任、教育委員会職員1名、次男の計4人は行ってしまった。

仕方がない。
私は残った方々に、療育手帳を取れなかった事、少人数の支援級で、きめ細やかな指導を受けてきたので学習に対する基本姿勢は出来ている事、次男自身が転校に前向きであることなどを話した。

皆さん熱心に聞いて下さった。
スクールカウンセラーがいるのも心強い。

一通り話が済むと、学校長が「私達も様子を見に教室へ行きましょう。」と言った。

3年1組の教室のドアを開けると、目に飛び込んできたのは笑顔であった。
みんな黒板の前に立っていて、楽しそうにニコニコしているのである。
黒板には次男が書いた自分の名前があった。

1組クラス担任の女性教師が笑顔のまま話し掛けてくれた。
「お兄さんがこの学校の卒業生なんですね。この学校の事知っているよ、って教えてくれましたよ。」
副校長は「漢字もしっかり書けるし、計算が得意なんだってね。」と次男の方を見ながら言った。
「うん!僕数字が好きなんだよ。」と、ご機嫌な次男。
だから、、、「はい。」でしょう、、、

1組担任の先生は、学校長と学年主任に「体験入学は私が引き受けます。」と言って下さった。
え?いいんですか?
学校長は「そうですか。ではよろしくお願いいたします。」と言った後、私の方を見て「このタイミングですと体験入学は3学期始まってすぐになりますが良いですか?」と聞いた。
「はい!大丈夫です。」
私もついテンションが高くなる。

そこで一応みんな解散し、体験入学時の持ち物の確認の為に教室には担任の先生、次男、私の3人が残った。
改めて私は先生にお礼を言った。
いかにもベテランといった感じの先生である。
そういえば長男の1、2年生の時の担任もベテランだったが、ちょっとでもはみ出している所があると厳しく指摘する先生であった。
この先生はどのようなタイプなのだろうか。

先生は優しく微笑みながら「ここは公立小学校ですからね。いろいろな子供達がいるんですよ。次男君、素直でとっても良いお子さんですね。」と言って下さった。
同じベテランでもタイプは違うようだ。
とても包容力があって温かい感じがする。

次男は黒板に書かれた持ち物を自分で紙に写し、「本当に丁寧に書けたね。」と褒められて嬉しそうであった。

玄関で別れる時、「じゃあ、3学期待っているよ。」との先生の言葉に次男は相変わらず「うん!」と元気よく返事をし、私は「よろしくお願いいたします。」と深々と頭を下げた。

帰り道、「どうだった?」と聞く私に「楽しかったよ。水槽にはカメがいたんだよ。植物もあって名前と科を教えてあげたんだよ。先生達びっくりしていたよ。」と笑顔で答える次男。

今日は大人だけだったが、体験入学では30人の子供達と一緒に2週間過ごすのである。
子供は大人ほど優しくない。
きっと特性をからかわれたり、出来ない事があって挫折感を味わうかもしれない。
しかし、これから手帳の無い状態で生きて行くには、からかいをはねのけたり挫折を乗り越える力も付けていかなければならない。

守られた場所から一歩踏み出すのである。
次男は自分の人生が新たな局面を迎えたことに気が付いていなかった。


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うちの次男:挑戦 1

次男は普通級に移る事と転校にゴーサインを出した。
これからいろいろな手続きに向けて動き出さなければばらない。

私はまず教育委員会に電話をした。
事情を話すと、「はい、それではまず保護者から詳しいお話を伺いますのでいらしてください。」と言われた。
平日なので行くのは私一人だ。
児童相談所で出された紙、家庭学習の様子がわかる通信教育の単元テスト数枚を持って面談へと赴いた。

対応したのは職員一人。
優しそうなおじさんである。
私が差し出した児童相談所の紙を見ると「手帳が取れなかったんですねぇ。」と言いつつファイルを開いた。

「それでは、お子さんの様子を教えて下さい。」
授業時間の間、席に座っていられるか。
学校の外へと出たりしないか。等の質問の他に、4年生からということもあり、学習面での質問もあった。

字は書けるか。との質問に私は持参した通信教育のプリントを見せた。
「ほぉ、、」と言いながらチェックを進める職員。

板書は出来るか。の質問もあった。
支援級では、字を書くのを負担とは思わない子には積極的に板書の練習もさせていた。
そのおかげで、次男も板書が出来たのである。
私は改めて支援級の先生方に感謝を覚えつつ、「はい、すこしゆっくりだとは思いますが出来ます。」と答えた。

手をヒラヒラさせる癖や音に敏感な事はこちらから伝えておいた。

チェックが終わると、「それでは、これからの流れを説明いたします。」
職員は淡々と説明を始めた。

まず教育委員会が学区内のA小学校の校長先生に連絡して、先生方と私達親子が面談をする。
次に2週間の体験入学をする。
その間の様子を校長をはじめとする学校の先生方、教育委員会の担当者が視察する。
その後双方が協議をして、転校を許可するかどうかの判断を下す。

2週間、次男は誰も知る人のいない普通級で過ごすのである。
慣れている今の交流級ではない。

私は家に帰ると、もう一度次男の意思を確かめた。
「A小学校の数字の教室で、2週間みんなと一緒に勉強するのよ。ママは付いている事はできないの。大丈夫?嫌だったら、、、」

そう、嫌だったら何も無理をすることもない。
今まで通り勉強は家庭学習で、と割り切るのも良いではないか。

しかし次男は元気に答えた。
「大丈夫!やってみるよ!」

本当に彼のこの前向きな姿勢は称賛に値する。
そう感心しながら私は教育委員会からの連絡を待った。

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うちの次男:ある決意 3

夫は小学校入学の時も普通級に入れることを主張した。
それに対して私は支援級にこだわった。
少人数で、仲間がいて、次男の特性を受け入れてくれる場所が必要だと考えたからだ。

その守られた場所で次男は能力を伸ばし、いまや好奇心はその外へと広がっている。
交流級への参加により30人程度の中で指示を聞き取れるようになった。
仲間にもたくさん出会うことができた。
音に対する過敏性もかなり改善され、手のヒラヒラもコントロール出来るようになった。

守られた場所から外へと出るのは、今が良い機会なのかもしれない。

しかし、懸念もあった。
私達が住む所は、支援級は越境が認められているが(すべての学校に支援級が無いので)普通級は認められていない。
普通級に移るには転校が必要だ。
クラスも学校も変わる。
それは相当の負担ではないか。

私は答えた。
「今度の土曜日、次男君と一緒にA小学校(学区内の小学校で長男の母校)に行って、そこで彼の意見を聞いてみよう。」

夫も承諾した。

次の日、私は普通級に移ることを考えている、と支援級のママたちに打ち明けた。
すると、ある上級生ママがあっさりと「うん、うん、私の知り合いの子も途中で移ったよ。」と言うではないか。
「出来るんですか?」と聞く私に「6年間の間に子供の状態も変わるもの。出来るわよ。次男君がチャレンジしたいと言うならぜひ応援してあげてね。」
その温かい言葉に思わず涙腺がゆるむ。

そして土曜日、私たち3人はA小学校の校門前にやって来た。
長男が通っていた頃、次男も保護者会、運動会、学芸会、そして卒業式などでしばしば来た場所である。
よく先生方や他の保護者から「あら可愛い。」「お利口さんね。」と褒められたことを思い出したのか、「お兄さんの通っていた学校だね。僕も何度も来たよ。」とはしゃいだ声で言った。
夫は本題を切り出した。

夫:「4年生からこの学校に通うのはどうだい?」
次男:「えっ、転校するの?」
ちょっと驚いた後、再び質問した。
次男:「ここにも平仮名のクラスがあるの?」

今通っている学校では、支援級は平仮名のクラス名が付いていた。
普通級は数字である。
数字が好きな次男は時々、どうして僕のクラスには数字が付いていないのだろう?と言っていた。

夫:「ここにも平仮名のクラスはあるけれど、4年生からは数字のクラスに通うんだよ。」

しばし考える次男。
そして答えた。

「うん。僕、お兄さんとおんなじ学校に通う!」

私は確かめた。
「人数が多くなるけれど大丈夫?」

「今の3組と同じでしょ?大丈夫だよ。」

満足そうにうなずく夫。

嬉しそうな2人とは裏腹に、これからいろいろ大変な事が始まるぞ!と思わず力が入る私であった。

ご訪問ありがとうございました。


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アウイナイト

Author:アウイナイト
ユニークな子供達のおかげで、今まで見えなかった世界が見えてきました。
内気な私ですが、前向きに生きていきます。

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