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うちの長男:気付き

あれは久しぶりに長男が実家に帰り、家族4人で食事をしている時だった。
「僕は堅いんだよねぇ。」と言った長男に、「そうだよ!」「やっと気が付いたか!」と夫と私はすかさず突っ込みを入れた。

堅いことは悪いことではない。
「一本筋が通っている」「初心貫徹」などはほめ言葉であろう。

しかし、状況をよく見ようともせずただ自分の正義感を振りかざしたりする事は、周囲の人々を困惑させ時には反感を買う。
親元を離れた長男は、自分を取り囲む人々とはなるべくトラブルを起こさずうまく付き合っていかなければばらない、と悟ったのであろう。

「それで?少しは柔らかくなったの?」という問いには「そんなに簡単には変われないんだよね。」と苦笑いした。
それはそうだ。
でも気が付いたのは変化への第一歩である。

「人間は欲が深すぎる。」とも言った。
どの生物にも欲はあるが、人類ほど果てしない欲望を持った生き物は、地球の歴史を振り返ってみてもいないらしい。

人間の「生」に対する欲は、他の生物に比べて際立って深いといえよう。
もし、その欲が満たされ不老不死となったらみんな幸せになれるのだろうか。
それ以前の問題、戦争や貧困、差別などの問題が解決されない限り、幸せになれるとは思わないけれど。

自然を愛する長男は、欲の為に環境が汚染されたり、地形などが著しく変形させられたりする事に憤りを感じている。
もっと地球そのものを大事にしなければいけない、、らしい。

「人類はその欲によって栄え、その欲によって滅びるだろう。」

なんだか預言者のようだ。

とにかくいろいろ考えるようになったのは良い事なのだろうか。

まだまだ大学生活は続く。
いろいろな人と関わり合い、経験を通して柔軟性、社会性を付けていってほしい。
きっとそれは彼にとっては学業よりも難しい事だろう。
でも診断名がつかず、あくまで「普通の人」として生きていかなくてはならない彼にとっては必要な試練なのだ。

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うちの長男:夢

小さい頃の私の夢は、刑事になることであった。
ちょうど「太陽にほえろ」や「西部警察」「刑事コロンボ」などが流行っていた時期だ。
私はアクション派、父はコロンボのような頭脳派だった。
両親は夢を否定することなく楽しそうに話を聞いてくれた。

夫にも、ささやかなかわいい夢があった。
小学校の文集にそれを書こうとして義母に話したら、当時教育ママだった彼女に「だめよ、そんなの。○○って書きなさい。」と言われ、夫は自分の夢ではなく義母の夢を文集に書いたそうである。

大学進学にあたり長男が選んだ分野は、ロマンに満ち溢れた興味深いものであった。
ただし、、
あまり儲かりそうもない分野だ。

経済的にはあまり楽ではないかもよ?と一応忠告したが、そんなことで信念を曲げる長男ではない。

学部と学科が決まれば、あとはもう学校にお任せ状態。
学校側からも「ご家庭では、健康管理だけお願いします。」と言われた。

受験勉強をしている長男を見ながら、私は6年間の成長を感じていた。
中1の頃は、正負の簡単な計算ですらいい加減だったのに、もはや夫も私も解くことのできない数ⅢCの微分、積分の問題に黙々と取り組んでいる。
どうしても成績の上がらない文系科目も、センター試験に必要だから、と最後まで捨てることはなかった。

結果は、、、

国立、私立合わせて三校の合格を勝ち取ったのである。
長男はコンピューターの画面で自分の受験番号を見つけると、「よしっ!」と小さく叫んだ。
特に難関ではないかもしれない。
でも本当にうれしかったし、学校の先生方も祝福して下さった。

学習面でも生活面でも凸凹があって扱いにくい長男を、卒業までの6年間見守りご指導くださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいである。

三つの学校のうちどこに行くか?
長男は迷わず一つを選んだ。

そしてそこを選んだということは、自宅を離れて一人暮らしをすることを意味していた。

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うちの長男:シェルター

我が家の子供たちは若く見える。
現在大学生の長男は高校生に、中学生の次男は小学生にしか見えない。
なのに、夫と私はしっかり50代に見えるのがちょっと悲しい。

中学に入った頃の長男はまだあどけなかった。
そのまま可愛らしさを前面に出せば、「ゆるキャラ」のような存在になれただろうに。
中身は幼い部分もあるが、変に頑固で融通の利かないところがあった。

1学期の半ばあたりから、クラスメートに対する不満を口に出すようになった。
決して荒れた学校ではないが、男子中学生などやんちゃなものである。
授業中の些細な私語、廊下を走る、ごみをきちんと分別して捨てない、などなど。
驚いたことに、面と向かって注意もしていたようだ。

長男の成績は深い深海から徐々に浮上を始めたとはいえ、まだまだ水面下であった。
体格も成績も劣る長男に、尤もらしいお説教を受けた相手はさぞかしびっくりしたであろう。
「何を偉そうに。」ということで、トラブルを引き起こした。
家でも学校での不愉快なことを思い出して、壁を叩いたりすることが多くなった。

小学校低学年の時に通っていた教育相談室を思い出して電話を掛けたが、通学時間を考えると通う時間がない。
どうやらそこは、小学生か地元の中学生を主に対象にしているらしい。

担任は長男の特性を理解して何かとかばってくれた。
しかし立場上、特別扱いは許されない。

長男を救ってくれた場所、そこはスクールカウンセリングルームであった。
私がカウンセラーに手紙を書くと、「いつでも力になります。ここが開いていない日は保健室に行けるように話をしておきます。」との返事が来た。
トラブルが起きた時や気持ちが不安定になった時、長男は箱庭を作ったり、カウンセラーとお話をしたり、ここへ駆け込む他の生徒たちとゲームをしたりして気持ちを落ち着かせていった。

長男に6年間の中高一貫校を選んだのは正解だった。
こんな調子では、とても高校受験など出来なかったと思う。

そのまま内部進学で高校に上がると、さすがにお互い認めたのか、諦めたのかは知らないが大人になったのだろう。
トラブルは徐々に減っていった。

そして高校2年生の秋の文化祭が終わると、本格的に大学へ向けての準備が始まった。

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うちの長男:挫折

私は学校から郵送されてきた一枚の紙を凝視していた。
それは、長男の1学期中間テストの結果を知らせる通知であった。
「そんなはずはない。3位以内に入っている、、、」

のんびり帰ってきた長男を呼び、早速その紙を見せた。
彼は観念した様に首をうなだれた。

彼の順位は上から3位以内ではなく、下から数えて3位以内だったのだ。

中学に入ってからの長男はフワフワしていた。
きっと試験もフワフワとしたまま受けたに違いない。

しかし、彼がそうなった原因は私にあった。

みんなが真剣に受験勉強をしている時、私は転校してすぐに受験モードにさせられた彼にプレッシャーを与えぬよう「まあ、勉強はほどほどに。」「無理して身体壊さないようにね。」と声を掛け続けた。
そして彼は何となく勉強をして、何となく合格して、何となく学校へと通っていたのだ。
これからの人生、このまま「何となく」で済まされるはずはない。

彼が帰宅するまでの間作戦を練っていた私は、「将来何になりたい?」と聞いた。
てっきり叱られると思っていた長男は、意外そうな顔をしながらも「うん、そうだなぁ~」と考えながらいくつかの職業を答えた。
予想通りだ。
小さい時から常に自分のテーマともいえる関心事を持っていた彼は、将来の夢については割と鮮明なビジョンを描いていたのである。

次に、それを実現するためにはどうしたらよいか聞いてみた。
「中学出て、高校行って、高校出て、えーっと大学?また受験?」

そう、長男の通う学校は付属ではないので、大学に行くためには受験しなければならない。

私は学歴至上主義者ではない。
今のところ次男(現在中学生)を大学へ進学させる予定はない。
なぜなら、次男の将来の夢をかなえるのに大学へ進む必要がないからだ。

しかし長男がかなえたい夢とは、大学で専門分野を学び、更には大学院への進学も視野に入れなければいけないものだった。
そこで義務教育である中学の受験と、大学の受験とは全く別物であることを話した。
すると、少しは事の重大さに気が付いたように「じゃあ、大学は真剣に勉強しないと入れないんだね?」と驚いた。
こんなことで驚くなんて、こっちがびっくりである。

とりあえず、全教科50点満点か?と勘違いするような成績のうち、1教科に絞って徹底的に見直すことにした。
彼が選んだ教科は数学であった。

話が付いたところで少しホッとした私であったが、長男の顔はまだ曇っていた。
聞くと、どうやら数人のクラスメートに成績のことでからかわれたらしい。

テストの順位は学校から郵送されてきたので、他の子には知られないはずだ。
しかしテスト自体は授業中に返されてくる。(これまで親には見せなかったけれど)
休み時間、隣の席の子に「あ~全然だめだった。君はどうだった?見せて。」と言われて素直に見せたら、その子は大笑いし、それを聞いて集まった他の子たちにもバカにされたという。

「よし!数学だけでも頑張って今度は笑われないようにしよう!」となぐさめるしかなかった。

それから、しばらく数学の特訓が続いた。
私は難関大学の出身ではないが、理系学部なので中学の数学は教えることができた。

面倒見の良い学校だけあって、中間テストの前に何回か単元ごとの小テストが行われていた。(当然親は知らず)
範囲の狭い基礎問題なのに、その点数すら情けないものだったのである。
とこでつまづき、どこがあやふやなのか。
一つ一つ確認していった。

そして中間テストが終わってから最初の小テスト。
長男が得意気に出したその答案には、それまで見たこともない高得点が輝いていた。
「やったね!」という私の歓声と、点数の横に添えられていた驚きと称賛に満ちた数学教師の温かいコメントは、やっと彼にやる気を与えたのであった。

これでクラスメートのからかいも無くなり万事うまくいった、、、わけではなかった。

ご訪問ありがとうございました。


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うちの長男:転校

時間が流れる速度は常に一定だというのに、夫の転勤先で過ごした約2年間を振り返る時、特に「あっという間だった。」と感じるのは不思議である。

転校して日が浅いうちは長男の表情も硬く、私たちや学校の先生方を心配させた。
そんな長男の気持ちをほぐしてくれたのは豊かな自然であった。
自然は時に残酷な一面も見せるが、人の心を癒す優しい一面があるのも確かである。

何となく幼稚園時代を思い出させる穏やかな学校へ、次第に長男もなじんでいった。

そこでは月に一度くらいの頻度で校外学習の時間があり、近場でのハイキング、バードウオッチング、時にはバスで遠出しての博物館、美術館、科学館の見学などがあり、とても楽しんでいた。
5年生の時には、上級生だけの一泊お泊り校外学習にも参加できた。

充実した時間を過ごし、元の小学校へと帰ってきたのは5年生の2学期の後半であった。

帰る直前、メールのやり取りをしていた友人から「こちらでは、ほとんどの子が塾通いを始めました。うちの子も中学受験はしないけれど、補習塾に通い始めました。」と様子を知らせてくれるメールを受け取っていた。本当にその通りであった。

中学受験など考えてもいなかった私たちだが、よく調べてみるとこの辺の公立中学はレベルも高く、部活動も毎日ある。
要領の悪い長男にとって、勉強と部活動を両立させて高い内申を取ることは困難が予想される。
だったら、緩めの中高一貫校を狙って高校受験を回避した方が良いのではないだろうか。

偏差値は低めの、面倒見の良さをアピールしている学校を数校見学し、その中で長男が一番気に入った学校一校のみを受験することにした。
塾では個別をお願いした。

真剣に中学受験に取り組んでいるご家庭には失礼だが、私には正直「私立、公立どちらでもいいや。」という気持ちがあった。
そして長男にも「まあ、あまり無理しないでね。私立も良い学校だけれど、公立中学だって伝統ある名門校なのよ。」と言い聞かせた。

長男もその言葉を素直に受け取りカリカリ勉強している風には見えなかったが、塾の先生の講義は面白いらしく最後まで真面目に通ってくれた。

そして結果は、、、、「合格!」であった。

これで6年間は安泰だ!と喜んだ我が家であったが、世の中そんなに甘くはない事をやがて思い知るのであった。

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アウイナイト

Author:アウイナイト
ユニークな子供達のおかげで、今まで見えなかった世界が見えてきました。
内気な私ですが、前向きに生きていきます。

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